お米を愛してやまない企業と
追求するお米の魅力。

(左)北本武

幸福米穀株式会社 代表取締役。
銀行での勤務を経て、2011年より現職。創業以来、おいしいお米の販売に取り組んできた幸福米穀において、無洗米や玄米パンなどの加工食品の開発、お米の栄養素やエキス成分に注力した原材料の開発など、健康と美をテーマにお米の新たな価値創造に取り組んでいる。2021年6月、バイオマスレジン関西を設立。

(右)神谷雄仁

株式会社バイオマスレジンホールディングス
代表取締役CEO。
商業施設開発のコンサルタント、食品商社で化粧品・健康食品原料の開発などを経てバイオマス関連事業に参加し、2005年、前身となるバイオマステクノロジー社創業。2017年11月、バイオマスレジン南魚沼を設立。2020年3月、バイオマスレジンホールディングスを設立し、代表取締役CEOとして現在に至る。

お米の消費が減り続けることへの危機感の中での出会い

−お二人がはじめて出会われたときのことを教えてください。

(北本)3年ほど前ですね。私から連絡させていただいたのがはじまりです。

(神谷)新聞か、NHKなどのテレビ番組か。何かのメディアを見て、お問い合わせをいただいたのがスタートですね。

(北本)その後すぐに、南魚沼の工場を見学させていただきました。衝撃でしたね。お米でプラスチックって……

(神谷)もともと幸福米穀さんはお米屋さんで、お米愛がすごいですよね。

−社名からもお米愛が感じられますよね。創業されてからどのくらいになりますか?

(北本)3年前に50周年を迎えたので、53期目になります。

−幸福米穀さんの歴史についてもう少し詳しくお聞かせ願えますか?

(北本)大阪の門真という場所で創業して40年ほど、外食産業やスーパーマーケットにお米を卸す商いをずっとやってきました。工場も拡張したりしたんですが、この20〜25年ほどは毎年1%ずつくらい消費が下がっていき、将来のビジョンを描きにくいし、お米を使った高度利用、用途開発に注目していかないとお米の消費は伸びないな、と感じていました。そこで、お米の加工食品の商品開発や、お米の成分を使った化粧品に着手し始めたときに、ちょうど神谷さんの記事を見たんです。「お米でプラスチック?」って衝撃を受けました。

−新規事業をいろいろと考えていらっしゃるなかで「これだ!」というのが見つかったわけですね。

(北本)そうなんですよ。米のとぎ汁が美容にいいとか、そういうのは連想できるけど、まさかお米がプラスチックになり、環境にもいいとは。

東日本大震災を経てお米を取り巻く環境の変化

−お互いの最初の印象はどうでしたか?

(北本)いやいやもう、神様でした(笑)。

(神谷)何を言っているんですか(笑)?

−“神”が入ってはいますが(笑)。

(北本)業界にとって、救世主なんですよ。僕らの業界では考えられない角度で、発想をしてくる。しかも、テクノロジーを使って。

(神谷)お米に携わっている人たちって、市場が縮小しているのが誰よりもわかっているわけで、すごい危機感を持っているんですよね。それに対して、北本社長たちは、外食事業をやっていらっしゃったり、化粧品とか加工食品とかすでにいろんなことにチャレンジされていたりして。無洗米のパイオニアでもあるんですよね。工場にお邪魔したとき、最新の設備を入れた最新の工場でびっくりしました。お米の業界って保守的なので、新しいものをあまり受け入れないんですよね。でも、会社にお邪魔するとわかりますが、社員のみなさん全員、とにかくすごくアクティブ。それが最初の印象です。「こういう企業と是非ご一緒したいなあ」と思いましたね。

−相思相愛ですね。北本社長は、社長に就任されてどれくらいでしょうか?
 また、当初から危機感を持って、新しいことを模索されていたんですか?

(北本)12年目ですね。
就任した翌年に、東日本大震災があったんですよ。設備も壊れたりして、業界がぐちゃぐちゃになりました。震災の当日から「米の供給はよろしく」っていう仲間からのオファーが殺到して、米屋っていうのは大事な仕事をしているというのを強く感じました。この仕事自体は誇りを持って続けないといけないな、と。ただ、そこからちょうどお米もね、どんどん価格は上がるけど、消費の方はどんどん減ってきて。

−食生活の変化が与える影響は大きいですね。

(北本)大きいです。うどんもパスタもパンもある。だから僕も考えたのが、お米を米食として食べてもらうには限界があるな、と。加工食品だけじゃなくて、ベーカリーもやっています。

ようやく実現した、バイオマスレジン関西の設立

−3年前にお会いになられて、そこから合弁会社の設立までのお話を伺えますか?

(神谷)北本社長とは、1度会って、またいつか会いましょう、みたいな感じではなくて、自然と定期的に会う関係が続いています 。南魚沼の工場に来ていただいたり、私が関西に行くたびにお邪魔したり。定期的に情報交換をするなかで、西日本でお米のネットワークをお持ちなので、まずは一緒にお米を集めるところからご一緒できたらいいですよね、と。もう一つは、当時うちがベトナムに現地工場をつくるなかで、北本社長は海外にも精通されているので、ベトナムで僕らがお米を集めるときにもご協力していただける、よくそんなことを話していました。

(北本)ずっと着手しようと思っていたんですけど、ビジネスのタイミングを考えて、昨年ようやく「バイオマスレジン関西」という法人を立ち上げさせてもらいました。僕たちのお客さんになる業界、外食産業や小売店なんかが、プラスチックの容器などをバイオマスに替えていきたい、と意識が高くなってきているんで、樹脂だけでなく最終商品としても提案していきたい。

(北本)お米の容器とかやれることがたくさんあります。お米でプラスチックをつくっていると話すと、今のところ打率10割で「いいことやってんなあ」って言われるんですよ(笑)。

(神谷)まわりに評価していただけるというのは、僕が長くやってこられた唯一の理由だと思うんですよね。北本社長もそうだけど、なんらかのきっかけでお会いして、思いに賛同していただき「一緒にやろうよ」って言っていただけることがほんとうに多いですね。

−こういう動きが日本だけでなく、世界に広がっていったらどれだけ素晴らしいかと。

(神谷)今、リアルに進めていますけどね。アジアだけでなく、アフリカでもスタートしています。

お米の魅力を再発見して、水田を守る

−グルテンフリーの食品が珍しくなくなり、お米のパンも増えていますし、お米の油は健康にいいですし、お米の良さがあらためて見直されていますよね。

(北本)そうそう。お米油なんかはすごく健康にいいし、お米に対する健康イメージは高いですよね。神谷さんがおっしゃる通りで、日本だからこそ戦略作物のお米を選んで、そこから地域を、土地を守りたいという、販売以外の役割が全国に広がっている。そういうところもバイオマスレジンのビジネスに賛同できるところだと思います。

(神谷)実際、農家さんも困っているわけです。お米をつくりたいのに売れないからつくれないとか。かといって、今まで水田だったところを畑に変えるって、高齢者の方はもちろん誰にとっても大変なことだし。でも、放っておくと水田はどんどんなくなってしまうので、なんとか守っていきたい。白米以外にも、油も、籾殻もそうだし、水田っていろんなものが生まれてくるので、水田を守ることにはすごく意味があると。

−食用ではなく、プラスチック用の場合、多少でも稲作は楽になるのでしょうか?

(北本)なんでもいいというわけではないですが、たしかに、主食用よりはハードルは低いです。
天候の影響やコロナのような有事で消費が揺れたときに、このプラスチックビジネスが受け皿というか、セーフティネットとして機能していれば農業も安定してくるし、そういう役割があるな、と思います。

(神谷)政府が「お米をこれ以上つくらないでくれ」って言ったのは、実質はじめてですよね。すごい衝撃なんですよ。いよいよもうほんとうにお米が余っているんで。そういうこともあってずっと、我々のところに問い合わせが多いです。全国から余っているお米を使えないかとか、すごいですよ。

(北本)それでも農家さんはね、やっぱり国の方針通りに減産できないんですよ。やっぱりつくるって決めたらつくっている方が多いんじゃないかな。一回やめてしまうと、休耕田になってしまうし。

(神谷)余談ですけど、バイオマスレジン熊本の工場には、10メートル四方ほどのコンパクトなスペースですけど地面があって、そこを水田にしてお米を育てていて、地元の小学生たちの社会科見学に利用してもらっています。
未来をつくるのは子どもたちだから、僕らの思いを知ってもらったり、できれば受け継いでもらいたいというのがあって。常に変化していくなかで、次の世代への教育というのは、絶対大事だと思うんです。

お米を通じて社会の問題解決に貢献

−さんざんお聞きしましたが、お互いの人としての魅力をあらためて、そして2社が組むことによる相乗効果についてもお聞かせいただけますか?

(北本)神谷さんは、アントレプレナー。僕ら古い業界にイノベーションを起こす人なので、僕としては、まずはそのセンスを学ばせてもらっています。神谷さんと出会って、お米業界にどっぷり浸かってしまって見えてなかったところを明るく見せていただいています。

(神谷)お米の取り扱いって、江戸時代はお金ですから。だから、誰でもできることではなくて、ほんとうに保守的なんです。それに対して、北本社長は、本人は逆のことを言っていますけど、イノベーターですよ。お米業界にどんどん新しい旋風を起こしていて、お米業界の人から「だから神谷さん、幸福米穀さんとやるのね」と言われるくらい。

(北本)神谷さんはもう20年以上…? きつかったと思うんですよ。

(神谷)今でもきついですよ(笑)。

(北本)志を続けている、というのがすごいと。

(神谷)どこでもしゃべっていますけど、3年に1度は心折れてきましたから(笑)。

(神谷)お付き合いの短い方だと、僕が次々と新しいことを考えて、いろんなことをやっているように見えるようです。でも、もうずっと同じことを考えていて、こうするべきだ、という思いがあります。当時はできなかったことが、10年以上かけて準備して、やっとできてきているという感じです。

(北本)会うたびに信じられないくらい想像力が広がっているし(笑)。これは無理、っていう考え方もないですし。常に前向きですよね。

−今回のコラボレーションを通じて、将来、やっていきたいことはありますか?

(北本)お米を通じて社会の問題解決に貢献する企業をつくるというのが、僕の根底にあるビジョンです。そういう意味では、神谷さんとの事業はそのビジョンのど真ん中なので、やらなきゃいけない。使命感しかないです。お客さんにそういう話をすると「うちでなにかお願いできることない?」とか言っていただける。まだまだお米のプラスチックの存在をご存知ないお客さんも多いので、いろいろな製品の提案を通じて、啓蒙活動をしています。

(神谷)北本社長のお米愛は知っていますし、農業に対する思いも理解しているし、これからさらにいろんなことができるんじゃないかな。関西を代表する会社としてやってもらいたいというのは大前提ですけど、一方で、国内、海外と僕らの仕事の領域がどんどん広がっていくなかで、いい関係のパートナーシップで一緒に成長していければいいかなあ、と思っています。
あと、現段階で詳しくは言えませんが、一番ホットなところだと、従来の米油用途以外の新たな「米ヌカの活用」に関して共同で技術開発をスタートしました。